2021.09.13

第6回 フラットな組織

立場上人事面談をすることが多くなった。

翻って逆の立場で会社訪問して入社試験を受けたことがあるかと問われると、これが今までの人生で一度もない。

なぜなら私が20代の若造であった大学卒業時の就職願望は○○会社とかいう具体的なものではなく「40代になってもネクタイをしないでもいい職業」という漠然としたものだった。

そのくせ、どのような職業に就けばよいかについて当時の私はあまり真剣に考えていなかった。

せいぜい教員だとジャージ姿の人もいたかなぐらいの感覚である。

そのようなわけで大学卒業後千葉県の高校教諭になったわけであるが、今考えても甚だ覇気がない、困った若者である。

 そんな私が最初に赴任した学校(K高校)は統合されてすでに千葉県高校名として残っていないが、朝から爆竹が鳴っているは、授業中に釘が飛んでくるはと、校内暴力の最盛期であったが、その中でもK高の名声?は県下に鳴り響いていた。(何しろ初任者研修で県の研究会に参加した際に、「K高から参りました」というと「ご苦労様です」と返されるのだから)

しかも、最初に担当した授業はその年の前年に定員割れを起こしたために2次募集で入ってきた生徒(県下の各中学校で番長クラスの元気な生徒たち)だった。

学校の廊下を歩くのに緊張したのは、後にも先にもあの頃ぐらいであった。

その当時、いくら飄々としていた自分でもさすがに絶望感を感じていた。

しかし、そんなあまり教育に向いているかどうかも怪しい大学出の若造に学校という組織は50代のベテランと同じ「担任」という生徒の人生にとっては大きな責任を持つ立場を与えるのである。

「立場が人を創る」とは良くいったものである。

私は悪戦苦闘しながらも周りの先生の助けや生徒たちに教えられて何とか担任として1年から卒業まで3年間を経験し、教員としてやっていく自信をつけたときにはその学校で5年の月日がたっていた。今になって思うと(繰り返したくないが)かけがえのない時間であった。

 さて、昔話はこの辺にして、EMEの研究開発チームは各プロジェクトの責任者に必ずしも主任研究員だけでなく、研究員を指名することがある。そしてまだ経験が乏しいうちから主体的にプロジェクトを進める機会を与えている。ある意味、フラットな組織と言える。

実際、若い研究員は周囲の協力を得ながら悪戦苦闘しながらも次第に成果を挙げてきている。

 土屋取締役から「研究員にもプロジェクトリーダーを任せたい」という提案をいただいた時、私はすぐに賛成した。

若い人を信用し、責任を持たせることが人を成長させる唯一の方法ではないかと思っているからだ。

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